2025-08-14

整いました

毎日えげつなく暑い。

連日40度近い気温に加え、時おり吹くのは息苦しいほどの熱風。日陰を選んで歩くなんて、もはや意味がない。

日が差し込まない、風がさえぎられる空間は、たとえクーラーなんかなくても外よりよっぼど涼しく感じる今日この頃だ。


そんなある日、よりによってお昼過ぎに(午後3時ごろ)買い物に出かけた浅はかな私は、さすがの暑さに、『歩いて買い物に出るなんて、なんかの荒行?』と訳の分からないことを考えながら家路を急いでいた。


すると、あるアイデアがふと頭に浮ぶ。

『今、私はお風呂に入ってるのだ』と錯覚してみようと。



体温より暖かい外気は、暑いのではなく、ポッカポカの熱めのお風呂に浸かっている感じ。

時おり吹く熱風は、サウナのロウリュウの如し。

そのうち、長湯し過ぎて、のぼせて、気分まで悪くなって、お風呂に入った意味もなく汗だくになるのだ。(もうなってるし!)


そんなことを考えていたら、玄関についていた。

家の中は窓も締め切っていたのに、あぁ~、なんと涼しいのだろうか。

汗をシャワーでさっと流して、冷えっ冷えのコーヒー牛乳(牛乳に朝作ったエスプレッソ)を冷蔵庫から出してグビグビ飲んだ。

……

整いました。


2025-07-19

夏になると存在感増す奴ら

夏と言えば、


青々と茂る緑に涼しげなセミの声。水滴の付いたコップの中には真っ白いカルピス。風が届けてくれる風鈴の音は癒し効果抜群で、暑ささえなぜか心地良い。

なんてこと想像したくなる今日この頃。


でも、実際は……


青々と無造作に生い茂る緑には、何百匹、いや何千匹いるのだろうセミの音がギャンギャンとうるさい。キンキンに冷やしたコカ・コーラは暑さのせいで飲んでも飲んでもスッキリせず、絶え間ないBGMのようにエアコンの室外機の音がブーンとどこかで鳴っている。あ~、うだるように暑く気分悪い。


こんな風に夏をネガティブに語ろうと思えば、意外といろんなことが頭に浮かんできて、夏苦手人間さんの気持ちも分かる気がする。



私は夏が大好きなのだが、そんな私でも『ちょっと引く』ほど夏のイメージを激変させているものが最近目立つ。


それは、夏になると出現率がグ~ンと増すGの存在。今年はとくに多いかと……

朝の道には踏みつけられたGの死骸がゴロゴロ。夜は夜で我が物顔で町をササッとうろつくGたち。彼らが虫怖い人間の私を恐怖の夏へと誘う。


もうそれは、納涼という名のもとに語られる怪談噺の程度じゃない。そもそも、海外で聞いてもしっくりこないことの方が多いのだから。


どこに避難すれば遭遇しないのか……



とりあえず我が家では、『1年間寄り付きません』スプレーを気分が悪くなるほど吹き付け(噴出しすぎてこちらの寿命も減った⁉)、『寄り付かない成分配合の床拭き液』などで防御しているが……


それでも怖い、いくら対策しても安心できない、身も毛もよだつGの話でした。


2025-07-15

討論番組で問われる『年齢の壁』

もうすぐ参院議員選挙。
先週はじめ日本から投票用紙も無事に着き、折り返し送付し投票した。



最近いろんな討論番組をYoutubeで見ているが、ひとつ気になったことが……

それは、『年齢の壁』



ひと昔前なら、年の功というか、高齢の政治家は貫禄があるように映ったものだ。
しかし、今はどうだろう。


質問されれば、的を得ない答えしかできず、無駄にダラダラと長い。
高齢になると簡潔にまとめる能力が乏しくなるのか……

人の話が聞けない。カメラが回っているのに眠そうな顔を露骨に出す。
自己中になりがちなのか……

意見を聞かれただけなのに、勝手に説教めいた口調になる。
高齢になると、説教好きになると聞いたことがあるが……

そして、残念ながらトーク力が皆無。
惹きつけるトークがまったくできない!



きっと、高齢の政治家さんでも年齢を感じさせない、的確な話ができる人もいっぱいいるのだろうが、今回の参院選の討論番組に限っては、人選ミスした党があったことは否めないだろう。



2025-07-03

投票用紙、今どこ!

第27回参院選が告示された。


今回私は郵便投票を選び、現在は投票用紙が送られてくるのを待っている最中だ。


郵便投票するにあたっては、


→投票用紙等請求書に必要事項を記入し、在外選挙人証を同封して選挙管理委員会に送る。

→その後、投票用紙等が自宅に届く。(在外選挙人証が戻ってくる)

→投票用紙等を再度選挙管理委員会に送付する。

といった手順をふむことになる。



追跡サービスによると、先月の20日に選挙管理委員会に届いたことになっているが、それにしても返信遅ない?(そろそろ2週間経つけど……)


こうなると、申請用紙の書き方が正しかったのか、誤字があったのではないかなど、不安になってくる。


しかも……、

投票用紙の返信が遅いからといって、在外公館投票に切り換えようと思ったとて、在外公館の投票日期間は日本の投票日より早く、ここでも日本から送られてきた投票用紙と在外選挙人証が必要になってくるのだ。


つまり今の状況は、まさに投票用紙と在外選挙人証が人質にとられいるのも同じ。


もう私の投票用紙は日本を出発しているのか?、スペインのどこかで滞っているのか?

どこ!

郵便投票って、ちょっと『七面倒臭い』?(日本語・日本の習慣と違って

在外投票、『あんまり舐めない方がいいですよ』



2025-06-19

待ち犬来たる

年に2、3度、我が家にやって来る犬ちゃん。息子の彼女ん家のワンちゃんだ。

お鼻の穴が左右でちょっと違う、愛嬌満載の犬ちゃん。


犬好きの私にとって、このワンちゃんが家に遊びに来てくれることは、どんなに待ち望む友人が訪ねてくれるより幾倍も嬉しぃ。


そんなに犬好きなら自宅で飼えば?と言われることもあるし、自分自身で考えることもあるのだが、結局のところ、ちゃんと育ててあげられる自信がないので断念。



小さい頃は実家で犬を飼っていたが、それも今から4、50年も前のこと。

飼い方なんかもうすっかり忘れてしまったし、1日どうやって接していたかも覚えていない。

ましてや、小さい頃のように無邪気に犬ちゃんと走り回って遊ぶ体力もないので、散歩に連れて行く程度なら、犬ちゃんの体力に付き合ってあげられるご家庭と一緒に居る方が、犬ちゃんにとって幸せなのではないかとつくづく思う。


私が犬ちゃんなら……、同じことを考えるだろう。


体力的にも無理があり、衛生面でもヘンなこだわりのある私。それに、もしこれから飼うことになったとしても、シニア世代の年齢だと、どちらが先に逝く?的な悲しい状況も考えなくてはならない。


だから今のような、時々お世話できる頻度が、私にとってはベストなスタイルなのだろう。



といわけで、今日も暑い中遊びに来てくれるワンちゃん。中庭で水遊びでもして楽しんでもらましょうか。












2025-06-15

スペインのスタンダードに物申す

背の低い私は、スペインのスタンダードなイスの高さが合わない。(足が短いだけ😂)

必ずと言っていいほど足が浮く。


ふかふかのイスやクッションなしソファーなんかはとんでもなく、背もたれまでゆったり腰を置こうものなら、膝までちょっと浮き上がってまるで子どもみたい。



足を床に付けてしっかり踏ん張りたいときは、ちょっと浅めに座るしかない。

となると、背中を浮かせた状態で我慢するか、あるいは無理して背中を背もたれに付けて腰を痛めるかのどちらかになる。



そんなイスの高さに問題をかかえる私は、先日バスの中でふと思った。

もし、今座っているこのイスがスペイン人の体型スタンダードに合わせているのなら、その体型スタンダードに合わせるべきとこほかにもない?と。


それは、バスや地下鉄の座席の幅。


ハッキリ言って、彼らには狭い。


私が使うバスや地下鉄の座席は、日本の電車でよく見るような長椅子タイプではなく、一人用が並列されている、あるいは区切られているタイプ。

確かに、その一人用の幅に収まっている人も少なくないが、はみ出してくるやつに出くわす確率も経験上少なくない。

座席の幅に対して体がでが過ぎている。

夏なんか最悪で、冷房が効いてるとはいえ、隣の人の汗ばんだ腕が引っ付かないかどうか気がかりで気がかりで。

ピチピチで座っているのにポケットからスマホを取り出したいやつ、隣の座席に完全にはみ出すの確定でも座ってくるやつ、もう隣のイスにちょっと太もも座ってるやん!でも全然平気なやつ……

彼らがもう少し楽に座れる幅にしてはどうか。というか、せめて幅広め座席の設置もアリなのかもと思った次第である。


2025-05-31

〇〇哉、スペインのビーチ

晴天の日が続くと、心がウキウキする。

しかし、すでに真夏を思い起こさせる気温。暑い!


それでも程よい風を受け心地よい日陰に入ると、そこは汗だくの気怠い真夏ではなく(それはそれで好きだが…)、清々しく、私的な1年のクライマックスであるバカンスに向けての準備期間『初夏』なんだということを実感する。


そうなると週末はもとより、平日の朝や昼下がりでも、ビーチパラソルやクーラーボックスを持った『これからビーチ行きます』族を見かけるようになる。



彼らを見ていると、正直うらやましい。

なぜなら、

紫外線を気にするでもなく、まとわりつく砂も平気で、ビーチといえども汗だくになることが確定していることだって厭わない、そういった鬱陶しさを超越した時間の楽しみ方を知っているからだ。



若い頃は、時間があればビーチで過ごしていた私。

いつの頃からか、楽しさより煩わしさの方ばかりに気が行くようになってしまった。


でも、アラカンというお年頃。病気や体の不調が深刻にならないうちに『やりたいこと、ためしたいことはやってみよう』という気持ちに。

そして、長年遠ざかっていたビーチにも再デビューすることにした。




人が少ない時間帯を狙って、水際から遠く離れたところで、潮風の匂い波の音に集中すれば、若い頃に訪れたあのビーチやこのビーチがよみがえってくる。

そんなところで読む小説は、部屋の中で読むストーリーとは若干テイストが違う。


あー、素晴らしき哉、スペインのビーチ。


となるはずだったが、

実際は、


潮風は砂を運び、その砂はページとページの間に挟まり、ストーリーがまるではいってこない。太陽の位置に合わせビーチパラソルの位置を変え、優雅なひと時を想定していた私の近くで、賑やかな人たちがタッパーに詰めた料理を口にしながら騒いでいる。


あー、いつになっても煩わしき哉、ビーチ。


果たして、『これからビーチ行きます』族の域に達する日は来るのだろうか……